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2004年12月21日

慶応SFCの研修生レセプションイベントにオマーン国学生が参加

 エンジニアリング会社の日揮で研修を受けているスルタンカブース大学(唯一の国立総合大学)の学生2名が、オバセック事務局とアイセック日本委員会のコーディネーションの元、慶応SFC委員会が主催した研修生レセプションイベントに参加しました。
 先週の土曜日(7月31日)、SFCのキャンパスで開かれたアイセック研修生(フランス人)のレセプションイベントにオマーン国からの学生2人に参加してもらいました。日本の文化が垣間見れるような映像を見てもらったり、ことわざカルタや折り紙などをSFCのアイセック・メンバーと楽しんでもらいました。参加した2人の研修生は勿論のこと、来日中の在オマーン日本大使館・広報文化担当官の方も引受企業である日揮の担当者からも大変に有意義であったと喜んで頂きました。
 オマーンと日本の政府間研修生交流で来日し、日本企業で研修を受けている学生ですが、同世代との交流が無いということを過日萩大使が一時帰国されていた時に伺っていました。彼らはアイセッカーではないのですが、アイセックが来日した研修生のために企画している様々なレセプション企画に参加してもらい、日本の理解に役立ててもらったり、同世代との交流を深められることは、アイセックにとっても意義深いことと考え実現したものです。現役のアイセッカーからも、こういった機会を一過性のものに留めずに、もっと発展させ継続的に続けていきたいと早速報告が届いています。
 尚、当日のビデオが下記Webサイトに掲載されていますので、映像閲覧ソフトをお持ちの方はご覧下さい。
  ICX: http://www.sfc.keio.ac.jp/~s03336dk/icx.wma
  OGX: http://www.sfc.keio.ac.jp/~s03336dk/ogx.wmv

Posted by Kinashi at 23:50

アーカイブス資料:<IASEC-JAPAN News No.1 : 1962年12月発行>

IASEC-NEWS.jpg

IASEC-NEWS 発行に当たって
委員長金子正人

最近、国際経済商学学生協会は、その趣旨に広く各界からの賛同を得て多くの方々から御指導と励ましを頂いている。国際親善と経済学・商学の実際的研究を目的とし、外国企業への研修留学を特徴的手段とする当協会の必要性を叫んできた我々にとつて暖い御支持の声を耳にするのは何よりもうれしいことである。と同時に、その期待への責任を考える時、身のひきしまる思いに至らざるを得ない。趣旨は我々の断乎として確信するところであるが、その趣旨実現への道程はなだらかなものではない。我々はこの道程がいかに厳しくけわしいものであろうともやりとげなければならない。既にそれだけの社会的責任が生じているのである。

困難な道程を走破する為には、更に多くの方々に、深い理解を頂かねばならない。深い理解を獲得するには、一つに若き我々の青年的情熱であり、二つに正確な資料と将来への冷静な計画である。前者は、全身的感性の産物であり、後者は、知性と理性のそれに他ならない。協会組織全体としてこのどれを欠くことがあっても成功は望めない。人間には適性があるから各人が比較優位を有する部署について全体的調和を計ればよいが、前提として全ての人が全てのことを知っている必要がある。それが組織に加わる人達の自主性を確立し、ひいては、組織自体の自主性を確かなものにし、大なる信頼を得る源泉となろう。

「正確な資料の提供」の一努力としてこのIASEC-NEWS発行を試みた。海の彼方では単行本と見まごうばかりに立派なものが作成されている。やがては日本にも実現する日が訪れよう。このNEWSはその第一歩を踏み出したものである。

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IASEC-JAPANの歩み: 一層の飛躍のために
(注:設立時は、暫定的にIASECと称していた)

IASEC-JAPANの活動もどうやら軌道にのり始めました。そこでAIESEC-JAPANがいかにして生まれ、また育ってきたか、その一見複雑でかつ興味ある歩みを簡単にまとめてみました。

(日本への最初の接近)
1960年夏、ハインツ,ベイジというアメリカ人学生が来日、早大と腿応に設立準備委員会を設け、大使館、経済団体、企業等にAIESEC活動を紹介した。そしてこの報告にもとづいて当時のAIESEC事務総長ロウエンシユタインはイタリアのN.C(国内委員会)委員長であるフォデラを極東の担当理事に任命した。しかし、ペイジ工作はそれにも拘らず一応立ち消えとなった。

(トーマス現わる)
ところでIASEC-JAPANを認る時絶対に落ぜない男、それはトーマスだ。彼は・かつてAIESEC事務総長をやつたこともあるドイツ人学生だが、彼が1961年9月14日にニユLヨークで行われたAIESECの諮問委員と名誉役員との会合に招かれた。そしてそこで組織活動の為の研修生を受入れた。タイム・ライフ東京支社を拠点にアジアでのAIESEC活動を組織することを受諾したのである。ところが1961年11月に開かれた各国代表者会議に於て、1962年〜63年に於けるAIESECの拡張計画の中にアジアは含まれていなかつた。これに対してトーマスは次のような見解をとつたのである。即ちAIESEC計画を各国代表者会議の決めた地域以外に紹介することはかまわないのだという考えである。それ故彼自身AIESECの代表者叉は名誉役員としては行動しないし、又AIESECをアジアに拡張するのではなく、独立した組織の枠内でアジアの学生がAIESECの活動を行うことを援助すうという形をとったわけである。即ちAIESECとは別個の独立した組織をアジアに作ろうとし、それを IASEC (International Association of the Students in Economics and Commerce)と名付けた。
そしてAIESECと同様の研修生交換計画及びその他の国際間の活動をアジアの学生自身の手で行こうと等を決め、全世界的なAIESECが可能になる迄の一時的な措置として、AIESECに出来る限りの協力を要請した。そして1962年 6月30日までトーマス自身が名誉書記としてその役立に努力することになり、事務局を東京のタイム・ライフ支社におくことに決めたのである。
彼はこの線にそって精力的に動いた。1962年1月いっぱい、インド、ホンコン、フイリツピン、タイワンを歴訪、IASEC-ASIAの役立のために実業界、学界の要人達と懇談した。続いて2月20日から4月14白まで東京を中心として、4月16日から28日まで東京以外の地域に於て、日本の実業界学界の要人達と会いIASEC-ASIAの構想を話して、その協力方を要請し、賛意を以つて迎えられた。

(国内に於ける動き)
一方国内に眼を向けると、1962年5月12日に国際交化会館で第一回東京統合委員会がトーマスの主催で開かれた。早、慶、東大が出席、金子(慶)を創立委員の書記長に大槻(早)を渉外小委員会の理事に任命した。続いて6月1日慶応大学で第二回の会合が開かれた。この時から、一橋大も参加した。組織化及び活動方鉢などが検討された。この間トーマスを中心として研修生交換のための手紙のやりとりを5月いつばいかけて行つたのである。その結果、各国の大学と個別的に接衝し、日本との研修生交換に成功しているのである。そしてこの頃、内部に於ては組織に関して各大学が異った考え方を主張して譲らないため、東京統合委員会の活動は不活発になるという事熊に立ち入つたのである。しかし第三回東京統合委員会が6月15日早大で開かれ、四大学の出席によりIASEC宣伝のためのパンフレットを作成する事が決定した。
6月20臼、トーマスはIASEC-ASIAの名誉書記の任期を経った。トーマス自身、所期の目的を完遂ずることなくして、任を去ることに心残りを感じていたらしい。その日の国際AIESEC事務局役員にあてた手紙の中で、AIESECがIASEC-ASIAに協力してくれるよう要請し、そのことが、AIESECにとつてもIASEC- ASIAにとつても利益になることであると力説しているのである。IASEC-ASIAの名誉書記の後任はアメリカ人研修生リンドグレンが予定されていたが、彼の辞退にあい、空席となった。7月6日第四回委昌会が産経会館で開かれた。一橋大からは久保田、山田、慶応は金子、亀田、東大は宮脇、早大は矢野、黒木が参加した。席上トーマスは、リンドグレンをアメリカからの第一回研修生で、今夏に於ける日本の組織の助言者として紹介した。そして、研修生派遣の予定として宮脇(東大)をイタリアへ、藤田(東大)をホンコンへ、萩(東大)を韓国へ久保田(
一橋)をアメリカへ、千沢(慶応)をドイツへ、亀田(慶応)をホンコンへ、金子(慶応)をアメリカへ派遣することになった。来日する研修生としてはリンドグレン(アメリカ)を野村証券に、ベッカー(フラソス)を三菱銀行に又ステイーブ(ドイツ)を日興証券に迎えることになった。だが、藤田、萩、金子、スティーブの場合は実現しなかった。それから東京委員会の連絡事務所の住所として慶応の外事部に決めた。

(トーマス帰国す)
7月21日トーマスは帰国の途についたのであるが、その前日東京統合委員会に色々なことを言い残している。
東京統合季員会はまず、日本IASEC憲章を制定すべきであり、しかも東京以外の各大学からも代表が派遣されて制定されることが望ましい。慶応に住所を決め、経済同友会又は他のスポンサーに助言者になりそうな人々のすべてを召集することをお願いして顧問団会議を結成し、この結県を新聞にのせ、公式的に他の中央機関に翌年度の研修生引受け提供を依頼すべきである。このような事を言い残して、トーマスは帰っていったのである。

(IASEC-JAPAN設立さる)
彼が離日してから3日後リンドグレンの研修を引受けていた野村証券から当協会に呼出しがあり、野村証券がIASEC活動に非常に興味があり、支援の用意があるとの連絡があった。7月31日東京総合委員会はIASEC-
JAPAN日本委員会とその名称を変更、委員長に金子正人、議長に大槻聰幸、又その他の役員を選出し、再発足することになった。そしてその日、第一回執行委員会が開かれた。8月1日には懸案となっていたIASEC- JAPAN憲章が刷り上った。翌2日には三菱銀行にベッカーの研修契約について聞きに行った。これはトーマスが日本に居た時に獲得に成功したものであるが、三菱銀行は好意的であつた。8月6日、第二回執行委員会開かれる。IASEC-JAPANのパンフレット作成のため、四大学の教授(東大:木村先生、慶応:山本先生、一橋:板垣先生又は吉野先生、早大:中島先生)の賛同書を戴くことに決めた。この頃からIASEC-ASIA とIASEC-JAPANとの関係が論じられ始めた。またこの日野村証券から、当協会に対して金銭的提助の申し出があつた。又この頃連日、リンドグレンと会いAIESEC-U.S.について質問した。そして、トーマスの残した資料を整理し始めた。
8月13白、第三回執行委員会が開かれた。活動計画表を作る。8月中は幹部教育に専念することに決定、8月15日野村証券に於て会食、野村証券川島常務取締役がこの運動に大いに賛成しておられる旨伝えられる。8月18日、第四回執行委員会行われる。そこで以下のことが決定した。まず1963年3月アメリカのプリンストン大学で行われるAIESEC国際会議になるべく参加するよう努力する。そしてIASEC-JAPANの立場を我々自身で主張することを決定。次にIASEC-JAPANの構想を押し進めるよう専念することにしたのである。というのはトーマスが予定していた後任が空席となり従ってIASEC-ASIAの東京事務局はトーマスが東京をたった時にもうなくなったからである。これによってIASEC-JAPANはAIESEC加盟を第一目標とし、他のアジア諸国とは個別的、相互的に交換するに止めることにした。日本を除く他のアジア諸国間の交換までは事務を引受けることは出来ないとしたのである。だがアジアは基本線としてあくまで尊重することを確認した。8月21日22日大聖院に於て第一回セミナーを開いた。諸問題があらゆる角度から検討された。8月24日ベツカーが到着した。8月25日椿山荘でベツカー及びリンドグレン歓迎会が催された。8月31目、第二回常任委員会開かれる。今後の活動目標として、1963年の研修生派遣目標は20名とすること、ジユネーブの国際AIESEC事務局にIASEC-ASIA並びにJAPANについてどのような考えを抱いているかを問いただすこと、1962年度予算案を作成することなどを決めた。

(教授団、野村証券にて会合す)
東大木村先生、慶応山本先生.一橋吉野先生と野村証券川島常務取締役とが会合をもちIASEC-JAPANの今後の活動について色々協議した。9月9日、第六回執行委員会開かる。顧問団結成のために早急の努力がなされるべきであるという結論が出た。そしてその時の野村証券の果す役割を協儀した。9月14日野村証券で平山部長、岡林課長と会い、これらの問題を話し合った。
1.9月6日の会合にもとずき、IASEC計画を野村証券が後押しする。具体的には一週間以内に野村が研修生を引受けてくれそうな20社をあげる。
2.野村証券と深い取引関係にあり、国際感覚のある会社から(20社)5万円を寄付としてもらうことは可能であろう。
3.日経連については、将来全国的な組織になった場合、バックアップしてもらう意味からも、その賛同を得ることが必要であろう。経団連、その他の団体についても、野村を紹介先とし、理解を高めて次第にムードを作つていくこと。
4.企業への接近の仕方については具体的に三通の書類(研修生引受書、賛同書、賛助会員書)を用いてやるのがよい。
上記のような結論が出された。尚20社のリストは9月21日に提出され、野村証券から10万円の寄付をパンフレット出版用として戴いた。同日、日経連に於て前田専務理事並びに事務局総務部長等にIASEGの説明を公式に行った。その結果9月25日の日経連会合に於て、前田氏からIASECの説明を全会員にして戴ぐことになった。この日に予算案、交換計画表も完成した。9月20日にリンドグレンの送別会が銀座東急ホテルで行われる。22日彼は帰国したのである。リンドグレンの働きに対して野村証券は非常に感謝しており、彼の完成した60ページのリポートはIASECの仕事として近日野村証券から出版されることになった。又彼がIASEC- JAPANの確立に際して果した功績ははかりしれないものがある。
9月下旬には経済同友会、国際経営管理協会CIOSにIASECに対する援助を依頼した。一方各大学に於て, LC(大学委員会)強化のため、教授への働きかけ学内での宣伝会員募集など、必要と思われるあらゆる行動が、大々的になされていた。9月25日の日経連での説明会の模様は日経連タイムズ9月27日号に掲載されている。
10月2日、更に経団連の事務局次長花村氏に会い、IASECの説明を行った。そして財政面での助言をして戴いた。10月4日野村証券は20社のリストを我々に与えた。以下の通り
三井銀行、三和銀行、東京銀行、三井物産、富士フイルム、日本ビクター、横河電機、ソニー、リツカーミシン、ダイヤモンド、日通、日本航空、東芝、東洋レーヨン、新三菱重工、味の素、朝日ピール、西武鉄道、昭和電工、津上製作所
これにもとずき、我々は各企業にIASECプランを売り込み、物心両面の援助を要請することに決めた。更に日経連、国際経営管理協会、ダイヤモンド社からも助言・紹介状を戴いた。これらをもとにして、ほぼ10月一杯かけて、日本委員会渉外委員が、日本並びに東京商工会議所、青年商工会議所、各企業にIASEC計画を紹介し、大いなる賛同を得た。
韓国関係としては・冬季体暇中の交換を実現させるために、不二貿易に韓国人研修生を2名引受けて戴いた。

(IASECの基本)
ところで近時とみに学生の海外旅行熱が高くなってきており、その実現のために、企業を歴訪し、財政援助を半ば強要する例が多いということが問題になっている。そのため我々の協会も同種の運動と誤解される危険性も少なくない。だが我々の意図するところは、企業、教授、学生の協力の上に立つ経済外交であり、同時に最近重視されてきた産学協同精神に基いて新しい経済人を養成することであり、又国際的視野に立つた、意欲的かつ非政治的な学生活勧でもある。それだけに我々に課せられた社会的責任は大きい。従って我々はこのことを深く自覚し、まず我々の側に於て、会員の質的向上を図り、組織の強化にその努力を続けてきたことは申すまでもない。特に当協会の永続性に関しては最大限の考慮が払われてきた。我々の活動は、あくまで我々の自主的な運動によって推進するべきものであるが、それだけでは、その発展の途は長く険しいことが明らかになつてきた。そこでなによりも、財界及び学界の各種の援助と助言が望まれるのである。その具体的な形として、次のような意図をもった顧問団の結成が最重要事として再び援り上げられた。 

(顧問団について)
即ち、その顧問団とは我々学生の活動を支援、監督し、対外的・対内的に信用を付し、その永続性と責任め所在を明らかする為に、教授団、財界代表が積極的に参加するものである。よって10月の半ば頃から、一橋大では吉野助教授、板垣教授を通じて高橋学長に、慶応では山本教授及び外事部に、東大では木村学部長に、更に早稲田では中島教授等にお会いし、屡々助言を得た。19月17日には荒木文部大臣と会見、大臣はこの協会の活動に賛同され、出来る限りの援助を約束して下さった。翌10月18日、アメリカ大使館の人物交流副部長マニング氏が同様の援助を我々に申し出て下さった。これらの活動の結果が11月15日早稲田大堂大隈会館に於て、4大学教授(一橋・板垣教援、慶応・山本教授、東大・木村学部長、早稲田・中島教授)の出席の下に顧問団結成準備会議として開かれ次のことが決められた。 
この会合では、大体次のような事が話合われた。一つはこの協会の永続性に関する問題であった。4大学教授の一致した意見は「学生側の組織はかなり強固なものになっている。この上は我々4数授がこの協会に対して顧問としてしつかりした責任を持つという体制が出来れば、この問題は完全に解決するからそのよう努力したい」ということであった。もう一つは当協会の資金を集める方法についてである。これは教授が財界と共に企業にお願いして、資金を集め、その管理を行うことになった。そして山本教授が資金管理の責任者になつていただくことに決った。即ち学生は財政面の問題に関してはなるべく直接携らないことになった。最後に今迄の活動経過報告が確認され今後の活動方針を教授が了承されその成功を期すことになった。まず来年度の研修生交換は20名とし、当協会の来年度の資金として200万円を至急調達する。そしてAIESECに出来るだけ早く正式加盟できるよう、一層の努力を続けることが今後の活動方針であるo

(外務について)
一方外務関係に目を転じると10月10日付で一般報告書を作成して18日にAIESEC加盟国の国内委員会、並びに主な大学委員会又韓国、オーストラリア、台湾の国内委員会へ発送した。また外国人研修生が、来年日本にやってくるよう積極的に勧誘している。

(合同LC大会)
12月20日慶応大学三田校舎で午後1時から第一回4大学合同LC大会が開かれた。参加者約100人、亀田、千沢両人の報告談などを中心に、なごやかに3時間あまりを過し盛会裡に終った。

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理事会・顧問会議結成される!!

12月11日、経団連、日経連、同友会、商工会議所の経済四団体の会合がもたれ、その席上IASEC- JAPANのための顧問会議結成について討議が行われた。その会には我々からは一橋の板垣教授、学生数名が出席して、我々が顧問会議をいかに必要としているかを説明した。しかし、団体側は現在のIASECの体制は責任の所在が明らかでないとして参加大学の教授による理事会の設立を強く要求した。
我々はその要求にしたがい、規約改正して12月19日神田一ツ橋の如水会館において四大学の先生の出席を見、木村東大学部長以下8名の理事からなる理事会の結成が成功したのである。
したがって、経済四団体側もこれに満足し12月20日の会合において下記の如き顧問の選出を見、会議が結成されたのである。

<理事会>
会長   木村重義(東京大学経済学部教授・経済学部長)
常任理事(会計担当)  山本 登(慶應義塾大学経済学部教授)
常任理事 板垣與一(一橋大学経済学部教授)
常任理事 中島正信(早稲田大学商学部教授)
理事(選衡担当) 鈴木保良(慶應義塾大学商学部教授・商学部長)
理事(選衡担当) 柳川 昇(東京大学経済学部教授)
監事 小泉 明(一橋大学商学部教授・学生部長)
監事 河辺 貞(早稲田大学政治経済学部教授)

<顧問会議>
顧問 前田 一(日本経営者団体連盟専務理事)
顧問 堀越禎三(経済団体連合会常務理事・事務局長)
顧問 山下静一(経済同友会常任幹事・事務局長)
顧問 高城 元(日本商工会議所/東京商工会議所専務理事・事務局長)

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LC活動報告
<一橋大学> 顧問:板垣教授
9月24日 後期LC結成。委員長に山田を任命。会員の知識向上、意欲育成を図る。9名参加。
10月15日 前期LC説明会。17名参加。
10月22日 一橋全会員で資料の勉強をする。毎週月曜日定期集合を行うことを決定。
11月7日 高橋学長、板垣先生と討議。
11月14日 LCの第一回コンパ
11月19日 部室の獲得に成功(本校内)。現在会員数は総数36名(4年2名、3年13名、2年
  8名、1年13名)である。

<東京大学> 顧問:木村経済学部長
9月15日  東大LC発足。委員長藤田晋作。対外用住所を東大学生課教養掛気付とす。
11月7日   2年生対象に入会勧誘説明会
11月12日 今後のLC活動を討議す。
11月21日  新入会員歓迎コンパ。
11月28日 2年生再募集の為の説明会。
12月7〜9日 第1回LC合宿、於宇佐美。
寮新会員に対する諸知識の付与、英語の訓練。来年度の活動方針、組織決定。
現在会員数は、3年7名、2年13名、総数20名です。

<慶應義塾大学> 顧問:山本経済学部教授
9月   LC三田結成9名。委員長金子正人。会員強化を配慮。
10月3日  日吉で説明会。入会56名。
10月11日  第一回LC総会。自己紹介。
10月15日  第二回LC総会。活動報告。
10月19日  第三回LC総会。
10月26日  第四回LC総会。亀田のホンコン報告。英会話の件相談。
11月1日  今後のLC活動を討議。毎週火曜日に日吉で会合を決定。
11月20日  第五回LC総会。千沢の西ドイツ報告。活動報告。
12月2日  第一回LCコンパ。
   現在会員数は総数52名(4年1名、3年10名、2年15名、1年26名)である。

<早稲田大学> 顧問:中島教授
9月   中島教授以下大学院生により研究。
11月 大学ESS内に併設。宣伝、継続性、語学等に主力活動。組織の永続性のため、現
役学生より幹事採択を決意、実に800人の学生集まる。規約設定、組織化に重点。委員長は大駒勲
12月7日  大学院生、現役幹事と顧問の中島教授と会談。
  現在、仮幹事数大学院4名、4年3名、3年10名、2年20名。

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<研修はどのように行われたか>

研修生は企業でどのような研修訓練をうけるのか。これは研修生にとっても、受入企業にとつても、最も関心のある問題であろう。そこで、本年来日した外国人研修生及び海外へ留学した日本人研修生の場合を考えてみることにしよう。

…外国人研修生の場合…
三菱銀行で研修訓練を受けたベツカーの研修計画は以下のようなものである。
8月27日〜8月29日(本 社):銀行業務に於ける通貨の国際交換性について
8月30日〜9月12日(調査部):日本経済の現状及び日本経済のEEC対策
8月13日     (日興證券):日本に於ける株式市場
8月14日〜8月22日(業務部):マーケティング及び広告業務
8月24日〜8月25日(総務部):長期業務計画
8月26日〜8月28日(事務部):企業合理化(計画)
8月29日     (審査部):造船業に対する融資について
10月1日〜10月6日(支 店):銀行業務及び企業の概観
10月8日(トレーニングセンタ):行員教育の概観
10月9日〜    (支 店):対企業銀行業務の概観

リソドグレソの場合は、引き受け企業である野村証券が、彼を海外企画課においた。そこで、今まで野村証券がつくった海外投資家向けの日本証券市場についてのレポートとアメリカからとりよせてあったアメリカ証券市場制度についての資料の両者を用いて、その比較論を60頁の論文にまとめた。これはIASECの仕事として、野村証券から近く出版されることになっている。

…外国人研修生滞在日記…
「リンドグレン日記」
7月14日 羽田着YMCAに宿泊
18日 野村証券で上司に紹介、研修計画打合わせ
18〜20日 一橋大生宅に寝泊り、(日本の実際の生活を経験する為)
21日 トーマス送別会(YMCA)
22日 研修開始
8月上旬 鎌倉見物
18日 岡本宅で花火見物を兼ねてパーティー
25日 椿山荘でリソドグレソ、ペツカー歓迎会
下旬 富士登山
9月上旬 野村証券から関西旅行
20日 送別会(東急ホテル)
22日 帰困のため羽田見送り
この聞、随時各大字メンバーと懇談、常任委員会出席。

「ベッカー日記」
8月24日 マルセーユから横浜着
25日 椿山荘で歓迎会
27日 東京の地理案内
9月20日 リンドグレン送別会に同席(東急ホテル)
下旬〜
10月9日 三菱銀行でのスケジユールに従って関西旅行
13日 東大メンパーと箱根山へ
18日 送別会(東京茶房)
20日 帰国のため横浜見送り(船で横浜〜ウラジオストック、そこからハバロフスクまで汽車、ハバロフ
     スク〜コペンハーゲンは飛行機で、その後汽車でパリまで)
この間、随時各大学のメンバーと懇談、又三菱銀行から箱根、熱海にも行っている。

…日本人研修生の場合…
久保田(一橋大)は、アメリカ合衆国ポートランド市のポートランド・パブリック・ドックスという会社に行き、始めの3週間は各部門を転々と見てまわり、その後希望部門に配属され、現在リサーチ部でポートランドと日本との貿易量の変動原因分析を研究中。その間、市議会見物をレたり、見学旅行したり、見学旅行したり、ポートランド市長から名誉市民のカードを贈られたりした。その他、時々昼食会にも出席。研修期間は6ヶ月、来年1月に帰国予定。
 宮脇(東大)は、イタリアのナポリ旅行社で研修を受けながら、日本のAIESEC加盟に奔走中。
 千沢(慶大)は、西ドイツのジーメンス・アンド・ハルスケ・エイ・ジーで7月末から10月初旬までの2ヶ月間研修を受けた。研修部門並びに関係書類の解説を聞いたあと、始めのうちは輸出輸入課へ、次に販売課で簡単な事務整理をした。研修時間は7時半から4時半までで、大学委員会の主催した市内見物、工場見学に参加、その間前後二回国際親善の集いで、8月1日から5日まではベルリンでベルリン問題討議、市長会見、バーテイーに、9月5日から30日までミユンヘンへの研究旅行に各々参加した。
 亀田(慶大)は、8,9月の2ケ月間ホンコンのジヤーデイン・マセソン・アソド・カンバニー・リミテツドという英国系の総合貿易商社で貿易実務一般を班修。研修は一対一による講義方式で、一週間単位で各部門をまわった。月曜日は見学の日で割当部門のアウトラインを把握するために、ほとんど全ての地位の人に会い、オフイス・倉庫・関係会社・工場・船などを見学した。火曜日から金曜日までは部長から事務員に到るまで多くの人から講義を受けた。主にその人が扱っている仕事の内容の説明、書類の使用法、問題点などを聞いた。亀田君が研修を受けた部門は次の通り;
保険部、輸入部、中国貿易部、通運部、ジヤデイソ建設会社、綿花部、茶道、空気調整部、ハリーウイキング会社(系列会社)九竜支店。
土曜日には、その一週間のレポートをまとめて、それについて部長と討論があった。その後、書き上げたレポートをその部長に提出、検覧の後、人事部長にまわされ、研修終了後まとめて返却された。

<1963年度研修生交換計画>

IASEGの主活動は、参加37ヶ国245の大学を通しての、企業留学であります。1962年度は、世界3900余りの企業へこれらの大学院、学部学生が相互的に留学し、各々平均3ヶ月程度の研修を受けました。日本からは、計画初年度の試験的交換として、ナポリ銀行(イタリー)、ポートランド・パブリック・ドックス(アメリカ)、ジーメンス(西独)、ジャーデンマセソン(香港)へ東大、一橋大、慶応大から学生を派遣し、野村証券、三菱銀行にアメリカ、ドイツから研修生を迎え、多大な成果を修めました。その本格約活動の初年度としての1963年度にはIASEC日本委員会は、以下のような交換計画を目標としており、日本側企業による若い優秀な外国人研修生の受入れを希望しております。交換は交換学生受入準備書G.E.(注:グリーンフォーム)、交換学生志願書B.F.(注:ブルーフォーム)を用いて相互的に行われますが、IASEC日本委員会は、日本側企業による下記国あてのG.F.記入を20枚必要としており、御協力をお願いする次第であります。
ヨーロツパ7(イタリア2;ドイツ3;フランス1;イギリス1)、アメリカ7(西海岸3;中部2;東海岸2;アジア6(韓国2;タイワン2;ホンコン1;フィリピン1)
1)日本側企業によるこれら諸国からの研修生受入準備書は、1963年4月にアメリカのプリンストン大学で行われる会合で、相互的に交換され、各企業の希望する資格を持った候補者が各大学委員会によって選衡の上に推薦されます。従って研修開始期間は、多くの場合、1963年7月頃になる予定です。
2)アジア諸国との交換は書簡によって行われ、確定した期限はないものと考えられます。

渡航手続きと旅費問題

<渡航手続>
交換学生志願 → 選衡委員会 → 受入企業決定 → 外貨持ち出し申請(日本銀行に渡航申請書、学長推薦状、親の同意書、渡航理由書(目的)、誓約書)→ 日本銀行からの許可がおりた後 → パスポート申請(外務省に戸籍抄本1通、写真2枚)→ ビザ申請 → 予防注射(種痘、コレラ:代金1000円)

<旅費問題> $1 = \360 £1= \1,008
(船舶) 日本〜アメリカ西海岸: $280 日本〜ボンベイ:$131
日本〜オーストラリア:$87 日本〜ホンコン:$32
日本〜マルセイユ:$120     日本〜釜山:$7
(航空) 東京〜ロンドン:$677.6 東京〜シドニー:$453.6
東京〜サンフランシスコ:$435 東京〜ニューヨーク:$554
東京〜ホンコン:$152.2 東京〜台北:$106.4

1963年度の日本委員会予算は、200万円でした。

Posted by Kinashi at 14:10

同志社LC 40周年式典のご報告

去る11月27日(土)、京都・同志社新島会館において、「アイセック同志社設立40周年記念総会・式典」を開催致しました。
OB・OG、現役、関西地区他LCのOB、そしてオムロン様や堀場製作所様などの賛助企業や団体、ご来賓の方々をあわせて120名余のご参加を頂き、40周年という記念の年にふさわしい盛会とすることができたのではないかと思います。
今回のOB総会・式典は40周年の記念事業として、OB・OGの懇親を図ること以外にも幾つかのコンセプトがありました。
1.
設立期〜現在に至るまでの40年間の歴史を考察、共有し、アイセック(同志社)を再発見し議論する場とする。
2.
これまでお世話になった研修生受入企業及び賛助企業、新旧の理事の先生へ、きちんとお礼を述べる場とする。
3.
現役を含めて、40年間の長きに亘る世代を超えたより深い交流を図る。4. そして、全員参加型とする。
以上のことに拘って計画して参りましたが、そのため約半年前から、OB会長を中心に各世代のOBと現役学生が参加する40周年総会実行委員会を設立し準備を進めて参りました。まさに現役時代の企画活動さながらでした。この準備の過程で、本当に多くのOB・現役から様々なアイデアが出され、それが総会・記念式典の場で結実したと思います。
一例として、『アイセック同志社40年史年表』の作成(写真1)、年表や過去の報告書・総会ペパー・写真・グッズなどを展示した 『アイセック同志社記念博物館』(写真2)の設置。60年代アイセック設立時のエピソードとして150名を超える日独学生交換・京都セミナーの思い出、70年代から80年代にかけて伝統的となった東南アジアスタディツアーの原点、企画・スタッフ・研修活動の3つの充実期の80年代後半から90年代にかけて、そして21世紀に入り現在のNPO法人としての活動など、40年間を振り返る 世代を繋いだ『リレートーク』など盛りだくさんでした。今回の40周年記念式典を通じて、多くのOBや現役学生と議論し、実行し、感動した、この様な共有体験がOBと現役の交流を更に深め、またアイセックのDNAを引き継いでいくのではないかと思います。
 本当にあっという間の一日でした。
<写真1>
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<写真2>
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以下に当日の式次第と総会の様子を写真に納めましたので、ご覧ください。
<式次第>
第一部:
 定例OB総会
・ 活動・決算報告と活動予定・予算承認
(写真3: 結構まじめにやっています)
・ 全員での記念撮影
(写真4: 全員が並ぶと結構な迫力。この写真は、フォトフレームに納めてラッピングし当日の参加者全員に配布されました。
 開けた人はビックリ。懇親会の裏でラッピングをして くれた方々、本当にご苦労様でした。)
<写真3>
Photo_03.jpg border=0>
<写真4>
Photo_04.jpg 第二部:
 記念式典
・各世代のスピーカーと会場からの参加によるリレートーク(写真5: 40年分を90分で振り返るには 少し短かったかな?)
・現役LCPによる、過去からの活動の流れを振り返りながら、現在のアイセック(同志社)の活動報告と今後の展望
・同志社大学商学部 亀田教授(理事)より、研修生受入企業及び賛助企業への謝辞と記念品の贈呈
 (写真6: ちゃんとお礼が言えてよかった。)
<写真5ー1>
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<写真5ー2>
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<写真6ー1>
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<写真6ー2>
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第三部:
 懇親会:
・ 92年卒浜野氏の御夫人 閻杰さんによる中国琵琶の演奏で開宴
(写真7: オープニングを飾って頂きました。)
・ アジアボランティアセンター代表平田哲先生による来賓代表ご祝辞
(写真8:研修生選考や講演会でいつもお世話になっております。)
・ 69年卒奥山氏による「同志社ワイン」での乾杯
(写真9:同志社ワインの売上げの一部は奨学金となるそうです。)
・城山氏(阪大OB/66年卒)、遠山氏(神戸大OB/76年卒)からのご祝辞
(他大学のOBの方も駆けつけてくれました)
・中締めに、これまで長年アイセック同志社にご賛助頂いている宝酒造(株)様から現物賛助の一斗樽 で鏡開き(写真10)
・67年卒寺西先輩による閉会の御挨拶
(写真11:最後はやはり初代OB会長で!)
・87年卒西谷OB会長による「黎明清き」、「カレッジソング」、「同志社チアー」の大合唱で締めくくり。
(写真12:やっぱりこれが無いと終らない?)
その後 各世代に別れ、三次会、四次会と未明に至るまで晩秋の京都は盛り上がっておりました。
<写真7>
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<写真8>
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<写真9ー1>
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<写真9ー2>
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<写真10>
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<写真11>
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<写真12>
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今回、40周年記念総会・式典をより実りあるものにするために、上は1986年卒から下は2000年卒までのOB約15人。これに現役学生を加え、春先から「40周年実行委員会」をセットアップし準備にあたった訳ですが、OBは仕事を抱えながら、また年代的にも最も精力的に忙しい年代の方々であったにもかかわらず、夜中の10時11時過ぎからメールで、また時には誰かの会社の会議室に集まってミーティングを行い、関西在住のOBは京都の同志社大学のアイセック(BOX)に赴き、現役との打ち合わせを重ね、より充実した、また「他のLCがやったことのない」OB総会・記念式典をやろうと準備を進めて参りました。
(それが良いか悪いかは別として)
 我々が現役の頃は、「他のLCと同じような活動をしていても意味がない。どうやって同志社LCの独自性を出すか、それを常に考えろ!」と上級生の先輩から言われていました。確かに、東京にあるLCと違って大企業が少なく、研修生引受け企業や賛助企業の確保が難しい地方のLCにおいては、それぞれが独創性のある活動を展開し、それによって社会へのアピールを行い、また各大学委員会が切磋琢磨しあって全体のレベルを上げるということは不可欠であったと思います。
古都京都にある同志社大学委員会は、日本に来たほとんどの研修生が必ず訪れるという地の利や、西陣の伝統産業、また任天堂やオムロン、京セラ、島津製作所を始めとするハイテク・先端産業の立地として、それらを自分たちの活動にどう生かすかなど、学生の身でありながら日々熱く議論していたことが懐かしく思い起こされます。
近年、アイセックの活動が研修生交換事業に特化し、昔のようにスタツアを送ったり国際セミナーを開催したりという活動は下火になっているようですが、たとえどんな活動にせよ『アイセック』という魔法の言葉で繋がっている仲間が、究極的な目標である「国際相互理解の促進」、また 「それを実現できる人材の輩出」という活動趣旨にのっとり、40年の長きに亘って活動を続けているのは素晴らしいことだと思います。また、今回40年を超えるOBと現役が一緒になってひとつのものを創り出す活動ができたことは、現役諸君にとっても得るものは大きかったと思いますが、実は我々OBにとっても非常に有意義な経験だったのではないかと思います。現役時代は喧々諤々の議論をすることだけで精一杯だったのが、卒業して15年以上の歳月を経て「大人」として関係者との議論を進めることができましたし、現役諸君がいったい何を考えているのか、「オバセックは現役アイセックの最大・最良のサポーターである」 というスタンスをあくまで貫き、「現役の主体的な活動があってこそのオバセ CB ・ック」
という姿勢を示し続けることができたことは、我々にとってもこれからのオバセック活動を考える上でとても重要なことでした。
時に現役学生から「現役アイセッカー以上にアイセックらしい」と言われた(笑)OBメンバーたちの頑張りは、近年のアイセック(同志社?)では少し忘れられている部分 〜学生らしいチャレンジ精神や、妥協せずみなでとことん議論を深めていくこと〜 など、現役諸君にとっては大きな刺激になったようです。 当日みんなで書いた寄せ書きに、「思いは伝わる、動けば実る」 と書いた学生がいました。 まさにこれこそがアイセックの本質であり、40年間変わらず受け継がれてきたアイセック・スピリットではないかと思いました。
最後になりましたが、今回の準備にあたりましては同志社オバセックの先輩方は勿論のこと、他大学のOB・先輩方にも多大なご支援を賜りました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。それでは、アイセック並びにオバセックの益々の発展を祈念いたしまして、同志社大学委員会40周年記念総会・式典のご報告とさせていただきます。
                オバセック同志社 第七代OB会長
                西谷 真彰(1987年卒/日本テキサス・インスツルメンツ 勤務)

Posted by Kinashi at 12:54

アーカイブスの資料をお願いします

『AIESECアーカイブス』のための資料をお願いしましたが、早速、早稲田LC/64の黒木美芳氏より大変に貴重な写真を送って頂きましたのでご紹介します。
1962年2月末、AIESECを日本に紹介するために来日していたIAS(International AIESEC Secretariat)の元Ssecretary Generalだったドイツ人学生のバーン・トーマス君が早稲田大学に突然現れ、話を聞いた中島正信先生(後にアイセック日本委員会理事)はその日に予定していたゼミ(世界経済・中島ゼミ)の宴会に彼をご招待しメンバー全員で歓待した時の写真です。まさにAIESECが日本の学生にはじめて紹介された記念すべき日の貴重な写真です。

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中央の2人は故中島正信先生とバーン・トーマス。2人を囲んでいるのは修士課程修了を目前にした中島ゼミの先輩たち。中島先生の隣は町田先生、その隣は故大槻聡幸氏(早大LC/63)で右隅に小さく控えているのは修士課程入学を控えていた黒木さん。

Posted by Kinashi at 12:36

2004年12月20日

シンガポール支部会忘年会

先週の金曜日(12月10日)にOBAIESECシンガポール会の忘年会が開催されましたのでご報告をさせて頂きます。
参加者は、北瀬啓治さん(小樽商LC/1988)とご家族(奥さまとご子息)横溝理津子さん(広島LC/1991)とご家族(お嬢様お二人とご子息) 堀井家は、私、清吾(関西学院LC/1988)と家族(妻と息子)の合計10人(大人5人、子供5人)でした。
厨ダイニングの12人用の個室で、楽しく過ごしました。セット・コースをオーダーし、ビール、熱燗、ワインを美味しく頂きました。お酒を飲めない方には、ごめんなさいでした。子供たちも、ざるそばとか、お餅とか、おいしそうに食べておりましたが、しばらくすると、大騒ぎになりまして、遊んでいたおもちゃが、天井に張り付いてしまって、店員さんを困らせたりして、かなり盛り上がりました。(犯人は、堀井家の息子??)
次会の集まりのこととか、どんな集まりをしようかといった相談して決めようかと思っていたのですが、その時間もなく、あわただしく、あっという間に、しかし、非常に楽しく時間が過ぎてしまいました。
新年明けには、また、違った趣向で、集まりたいと思っています。日本食続きなので、非日本食、食事会以外では、ボーリングといったアイデアが出ています。また、やっぱり、BBQ
だという意見もありました。男だけで、じっくり、日本酒を飲もうってのもありました。ダック・ツアー(水陸両用自動車に乗って、シンガポール観光ってやつ??)興味ある方おられますか?おられれば、企画します。話しの種に、個人的には、トライしたいと考えています。いろんなアイデアあれば、連絡下さい。ひとつずつ、実行したいと思います。1月生まれの方おられましたら、お申し出て下さい。誕生日ケーキ準備しておきますので...。
堀井

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Posted by Kinashi at 12:18

2004年12月06日

シンガポール支部会の忘年会

今年3月にスタートしたオバセック・シンガポール支部会です。早いもので、あっという間に12月になってしまいました。これまで、シンガポールに赴任された方の歓迎会、帰国された方の送別会、誕生会、それに、シンガポールのアイセック・アルムナイとの交流等活発に行って来ております。今回は、忘年会のご案内です。メンバーの方々には既にご連絡を差し上げていますが、もしもご連絡が届いていない方がいらっしゃいましたら下記まで是非ご連絡をお願い致します。
2004年の忘年会: 日時:12/10(金) 7:00pm より
場所:Kuriya Dining(Great World City 内)
   Tel:6732-2912 連絡先:堀井清吾(関西学院大LC/1988)
    Mail: horii@nichicon.com.sg 携帯: 9625-0550
参加可否のご連絡が未だの方は、至急ご返事下さい。
12月誕生日の方、いらしたら、ご一報下さい。12月誕生会も兼ねて、ケーキを準備しておきますので...。ご家族揃ってのご参加も大歓迎です。

Posted by Kinashi at 22:01

2004年12月03日

AIESEC アーカイブス

OBAIESEC事務局では、AIESEC-JAPANの歴史的資料をデジタル化して後輩たちに残すべく、設立当初から今日に至るまでの貴重な資料や写真を集めています。現在、設立当初のAIESEC-JAPAN
NEWSなど古い資料を安井隆豊氏(一橋LC/1964)よりお借りしてスキャンしている最中です。また、寺西忠勝氏(同志社LC/1967)からは、1966年に実施しました「日独特別交換」の時の京都ツアーやオリエンの写真、冨田悦男氏(早稲田LC/1967)からは、1964年夏に長野県戸狩で行われた早稲田LCの夏合宿の写真を送っていただきました。

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これらの貴重な資料や写真は、今、皆様のご協力を頂いてデジタル化しておかないと10年先、20年先に纏めようとしても不可能になると思います。来年早々には、当ホームページ内に「AIESEC アーカイブス」というコーナーを作って、これまでのAIESEC-JAPANの歴史をOBAIESECとAIESECとで共有出来るようにし、2007年の45周年、2012年の50周年に向けて完成させていきたいと思っています。
皆様の現役時代のアニュアルレポート、研修報告書、様々なプロジェクト報告書、新聞・雑誌の掲載記事、様々なイベントの際の懐かしい写真など、是非ともご協力頂いて残していきたいと思っております。お借りした資料、写真は必ずOBAIESEC事務局が責任を持ってお返し致しますのでご協力のほどを切にお願い申し上げます。

Posted by Kinashi at 16:45

2004年12月02日

名古屋大LCのOB/OG会ご案内

名古屋大LC出身のOB/OGの皆様には既にご案内がお手許に届いていることとは存じますが、下記のようにOB/OG会が開催されるとの連絡が入りましたのでご連絡致します。尚、詳細は下記担当者にお問い合せ下さい。
日時:2004年12月18日(土) 18:00(17:30開場)〜20:00
場所:フレンドリィ南部(名古屋大学内食堂)
   (地下鉄名城線名古屋大学駅 1番出口下車、当日係のものが会場までご案内いたします。)
参加費:3000円(当日受け取り)
お問合せ先: 余語円佳(アイセック名古屋大学委員会外部関係担当)
       メール: yogo45_29@hotmail.com
       Tel:09096638951

Posted by Kinashi at 22:56

チョット早い『忘年会』のお知らせ

OBAIESECの皆様!
今や東京で最も人気のある梅丘の『美登利鮨』で忘年会を下記のように計画しています。暮の予約は中々難しく、申し訳ありませんが先着16名とさせて頂きます。

日時:12月25日(土)18時30分−20時30分会費:7,000円
お申込先:冨田悦男(早大67卒)
Mail
加藤春一(上智68卒) Mail

Posted by Kinashi at 22:49