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2006年01月20日

日独研修生特別交換から40周年 

今年は、1966年夏に実施した「日独研修生特別交換」から丁度40周年という節目の年です。この年に来日した94名のAIESECドイツ人研修生のリストをドイツのアルムナイに送り消息を調べてもらっているところです。又、ドイツで研修を受けた98名の日本人研修生に関しましても、OBAIESEC事務局で消息を調べており、現在のところ半数の方々が判明しております。40周年を記念して何か企画をと、AIESEC現役生と一緒に検討しているところです。

下記は、1967年4月に発行された「日独研修生特別交換計画報告書」からの抜粋です。

序  

昭和41年度日本委員会委員長 井上秀樹(慶應義塾大学経済学部)

1965年10月より当日本委員会とドイツ委員会との間で実行に移されました140名にのぼる相互交換「日独研修生交換計画」が実り豊かな結果を得て、無事に終了しましたことをご報告できますのは、私共にとって、誠に大きな喜びでございます。同時に、この計画を実現するべく当協会によせられました、教育界、経済界ならびに政府関係からの深い御理解と御援助に感謝しております。

ご挨拶

国際経済商学学生協会会長 木村重義(東京大学経済学部教授)

国際経済商学学生'協会日本委員会は発足以来5年目を迎え,その活動は軌道に乗ってまいりました、特に今年度におきましては,皆様の御協力,御援助の下に1日独研修生交換計画」が実施されおかげをもって多大の成果をあげて,無事終了致しました。
本計画を通して得られた多くの経験は将来,国際舞台に立って活躍するであろう学生諸君にとって,たいそう貴重なものであったに相違ないと信じます。学生諸君がこの経験を無駄にすることなく,将来種々の方法で国際社会および我国経済界に学界,政界および産業界に還元することは疑うべくもなく期待できると存じます。
本計画がこのように成功裡に終ることができましたのも関係各方面の方々の深い御理解の賜物かと存じます。ここに厚く御礼申し上げるとともに,本特別計画遂行の報告を致したいと存じます。
今後とも変らない御指導,御援助を賜わるようお願い申し上げます。

ご挨拶

日独研修生交換計画後援会会長 諸井貫一(日経連代表幹事)

国際経済への道を歩み続ける日本にとって今日程,新しい国際経済人,育成の必要を痛感する時はありません。
かかる状勢の下,今年度国際経済商学学生協会の特別計画でありました「口独研修生交換」は政界,財界,学界の一体となった御支援又日独両国委員会の努力により順調に全計画を終了いたしました。140名にのぼる若きエネルギッシュな学生が送り出され叉,受け入れられ企業研修,国際セミナー等を通じて両国の親善,相互理解を深め併せて学生の国際的視野を啓発するという大いな
る成果を上げました。
本企画の成功は国際経済商学生協会にとってのみならず広く日本経済全体にとっても,画期的飛躍をもたらすものと信ずる次第です。この企画に深いご理解を示され,御賛同下さった後援会の方々並びに各方面の方々に深く感謝しております。
今後共に,これからの若い世代のエネルギッシュな活動に更に暖かい御支援の程をお願い申し上げます。

「日独交換計画経過報告」  日本委員会事務局長 清水雅樹(慶応義塾大学商学部)

1965年6月、AIESECドイツ委員会より日本委員会に対して、1966年の夏休みを利川致しまして、150名の研修生交換特別計画の申し入れがありました。
日本委員会はこの計画の実現可能性を検討致しました結果、7月には、日独研修生交換特別委員会を発足させ、活動を開始致しました。ドイツ側では外務省より当計画に対する援助約10万マルクも決定され、リュブヶ、エアハルト、シュミッカー、アプス、モムゼン等、文字通り有力者の方々が後援され、日本人研修生の受け入れには

万全を期し、準備しました。同年10月、当協会理事会に日独研修生交換特別計画が取り上げられ、日本側からも積極的な本計画の推進が正式に決定されました。その後、外務省、文部省、通産省、経済四団体、日本ユネスコ国内委員会、日独協会、ドイツ大使館を始め、関係各方面からの御援助を頂き、同年12月15日、丸の内銀行倶楽部において、日独研修生交換計画後援会設立発起人総会が開かれました。同会議におきましては、日本経営者団体連盟代表常任理事である諸井貫一発起人代表より、本計画の趣意が述べられると共に、内田駐独大使より、西独政界、財界、学界が一体となり、真に本計画の実現を希望している旨の報告がなされました。財政面では本計画を実行する上に、西ドイツ政府から補助金が出されることに決定し、日本におきましては、民間企業からの寄附金は経済界の実情を勘案し、一口弐万円として、一口ないし二口程度の御協力を多数の方々から頂く心組で、御援助を依頼致しました。当計画後援会、会長には発起人代表であります、日経連代表常任理事の諸井貫一氏、顧問には、経団連会長の石坂泰三氏、日商会頭の足立正氏、経同友代表幹事の木川田一隆氏、椎名外務大臣、三木通産大臣、中村文部大臣、増田一橋大学学長、永沢慶応大学塾長、大河内東京大学総長、大浜早稲田大学総長、小泉上智大学学長、上野京都大学学長、星名同志社大学学長、東都知事、井上京都市長の各氏に御願い致し、常任理事には日経連専務理事の前田一氏、経団連事務総長の堀越偵三氏、日商専務理事の高城元氏、経同反事務局長の山ド静一氏、及び、当協会会長の木村重義東京大学教授、同じく常任理事の山本登慶応大学教授、板垣与一一橋大学教授、中島正信早稲田大学教授の各氏に御願い致しました。

選衡及びオリエンテーション
広く全国から優秀な学生を送り出すため、この計画の研修生募集は、全国公募という形で行なわれました。書類及び論文による一次選衡を経ました後の面接による東京地区の選衡は、1月14日15日の両日、国際文化会館で行われました。選衡委員には,当協会会長・木村重義東京大学教授をはじめ、中島早稲田大学教授、ドイツ大使館からMr.Lehr, Goethe Institut から Mr.Fellmann,Council of Student TravelからMr.Langston,国際文化会館の加藤幹夫氏、千沢忠彦慶応OB、それに国際経済商学学生協会・日本委員会野口委員長、井上副委員長諸氏になって頂きました。
審査の基準は語学能力、学問的背景、一般常識、人間性の四部門に対して採点され、厳重なる審査の結果、東京地区46名の合格者が決定されました。関西地区においても13・14日の両日、同様な形式で審査が行なわれ、21名の合格者が決定されました。
合格者の内訳は、慶応、東京、一橋をはじめ、上智、小樽商科、東京都立、学習院、明治学院、武蔵、早稲田、聖心、立教、中央、青山学院、,南山の15大学、関西におきましては、同志社をはじめ京都、関西学院の3大学の学生でございます。応募者の比較的少なかった大学、及び全く応募者の無かった大学からは3月中に、各大学より研修生を推薦していただき決定しました。
合格者のために東京では、3月5日、第一回目の関東地区オリエンテーションが開かれ、国際学生技術研修協会、日本国際医学生交流協会の学生も含めて、53名の学生が国際文化会館の講堂に集り、国際経済商学学生協会・西独企業研修生派遣団を結団致しました。

派遣団員
日本より西ドイツに派遣する学生は、当初、国際経済商学学生協会所属の学生のみで行う予定でございましたが、広く西ドイツとの親善を計るために、技術系の学生団体である国際学生技術研修協会(IAESTE)、及び医学系の学生団体である口本国際医学生交流協会(JIMAS)との賛同共催を得て、下記の如く広範囲にのぼる学生を送る事となりました。

1.団長山本登慶応大学教授1名
2.国際経済商学学生協会派遣学生98名
3.国際学生技術研修協会派遣学生35名
4.日本国際医学生交流協会派遣学生5名
合計139名

当協会ドイツ委員会代表 Brukhurt Shulz氏の来日
本計画の最終的事務折衡のために、去る2月4日に当協会ドイツ委員会より派遣されたBrukhurt Shulz氏が来日致しました。Shultz氏は、当計画後援会会長の諸井貫一氏、外務省牛場審議官、咲山日本青年商工会議所事務局長、原東京銀行頭取、北島大日本印刷社長の皆様方に御会い致しまして、日本側の受け入れ体制は、ほぼ整ったものと確信して2月23日に無事帰国致しました。

国際会議出席
!966年1月9日の国内会議において、野口日本委員会委員長、西脇日独研修生交換特別委員会副委員長、及び関西地区より、寺西関西地区委員長を1966年2月28日より3月11日の間に、イスラエルのティル・アヴィウで行われる国際経済商学生協会・国際会議に派遣する事を決定し、去る2月26日イスラエルに向けて出発致しました。この国際会議において、通常の研修生交換と、1966年の西ドイヅとの研修生交換特別計画が承認され、8月31日から9月4日まで行われたModernization in Asia and its Perspectiveのテーマのもとに行われたセミナーが、国際AIESEC
のインターナショナル・セミナーとして承認されました。

以下、当企画の準備は着々と進み受入委員会、派遣団報告となります。

「西独企業研修生派遣団報告」 派遣団委員会委員長 川島宣征(早稲田大学政経学部)

国際経済商学学生協会・日本委員会及びドイツ委員会の問で企画された「日独研修生交換特別計画」により、今年6月30日、日本側学生団長をふくむ139名はルフトハンザのチャ〜ター機で羽田を出発致しました。

派遣団の構成は
国際経済商学学生協会(AIESEC)  98名
国際学生技術研修協会(IAESTE)  35名
日本国際医学生協会(JIMSA) 5名
山本登団長 1名
計139名
であり、派遣に先だち各協会で応募者の選衡を行い、4月〜6月英語ドイツ語の講習に参加し、派遣にそなえました。

当協会が長らくの念願であったチャーター機によるなるべく多くの研修生をなるべく安い費用で送り出すという企画は、ここに実現されたわけで各研修生の往復の渡航費は、19万5千円と普通の費用の半額以下で渡航ができ、この企画の実現により従来より広い範囲の学生に、海外企業研修を受ける機会を与えることができたのは、当協会の喜びとするところであります。
出発に際して29日にドイツ大使館主催の研修生に対するレセプションが青山の0・A・Gで行われ、地方からの参加者はこの時までに東京に集合し、出発に備えました。

7月1日朝ドイツのケルン空港に到着。1日〜3日はドイツ委員会主催のドイツ紹介セミナーがケルン大学を中心に行われ、ドイツについてのいろいろな各度からの紹介が行われ、その間、内田駐西独大使の講演、ドイツ連邦省Dr.B6hnの講演を始め、映画などがありました。
7月4日にケルンをはなれ、各研修生はそれぞれの研修地に出発し、2ケ月の企業研修へと旅立ってゆきました。研修地はベルリン、ハンブルグ、ブレーメン、エッセン、ブラオンシュバイグ、ベセリング、エソネペタル、ゲーベルスブルグ、ニーハイム・ヒュステン、シュベルム、ヴィッテン、ノイス、ノイキルヒェン・フィルエン、デュスブルグ・ハンボーン、デュッセルドルフ、レーベ:ルクーセン、ミュンヘソ、フランクフルト/マイン、タルムシュタット、フリードリッヒサーフ毛ン、カールスル一工、フロツハイム、ニュールンベルグ、マインツ、ステユットガルド、マンハイム、エルランゲン、ケルン、フライブルグ、オーベルハオゼソ、ボン、ウルム、ザールブルッケン、ハノーバーなど西ドイツ全域にわたっており、各地区での研修生はその地区の地区委員会の紹介で、それぞれ会社・下宿へと分散しました。

初めての外国生活を経験する人がほとんどですので、研修開始にあたってかなり不安をもつ人が多かったと思われます。会社とドイツ委員会との連絡がうまくとれでおらずに、多少困乱した研修地も数少なくではありますがありました。もっとも大きな、そして数多く起った問題は、やはりドイツ語の事でして、かなりな程度のドイツ語を学習していっても、企業側がドイツ人と同じくらい話せる事を要求する例が多く、国民性のちがいをてきびしく感ぜさせられました。
研修生はD.M.400を、一ケ月の給与として受けとり、その中から下宿代・食費などを支出して生活するのですが、地区により下宿代もまちまちであり、金が足らないので検約した研修生もあり、又お金が余まってしまって旅行した研修生もあります。
研修期間中の催しものとして、ドイツ・アイゼック名物のベルリン旅行があり、各地区の研修生は各国から集まっている外国人研修生と一緒に、バスに集って一週間のベルリン滞在旅行をしました。ベルリンは東ドイツ(ドイツ人は東ドイツといわずにソヴィエト占領地区と呼ぶ)の真中にあり、バスで行くには3本のアウトバーンの道以外を通ることはできず、しかも通過の手続は非常にやっかいで、3時間や4時間国境で待たされるのはむしろ普通の事となっています。ベルリンは体制というものを強く感じさせないではおかない都市であります。

9月3日に2ケ月にわたる企業研修を終えて各研修生は、4日から一週間のヨーロッパ旅行への参加のため、ケルンに集合し、4日からはベルギー、フランス、スイスへの旅行に出発しました。この旅行期間にも強く感じた事は、単なる見学旅行ではその国を理解するのは非常に困難な事である、ということです。その事は各研修生に「どこが一番印象深いか」とたずねる事によっても又知ることができます。すなわち各研修地をやはり、「一番印象深い」と、答えるでしょうから。
9月11日、ケルン空港で日本大使館のレセプションを最後に研修生はドイツを後にして、北極経由のルフトハンザで羽田へ向かいました。なお、帰りの飛行機に乗らずにドイツ滞在を続ける研修生が11名、飛行機出発より先に帰国したのが団長と研修生1名です。

今このように大きな成果をおさめて帰国した派遣団は、そのレポートを作成中であります。この計画の実現のために多くの方々に御支援、御協力を得ましたことを心から感謝するとともに、この紙面を借りまして御礼申し上げることが出来ましたら、まことに幸甚に存じます。
昭和41年12月

Posted by Kinashi at 2006年01月20日 14:56